やがて哀しき外国語

更新が滞っていますがそれもそのはず一ヶ月以上勉強がゼロの状態でした。

ここは私のプライベートなことを書く日記的なブログではなく学習ブログなので詳細は伏せますが健康的な理由です。

ただ最初は深刻!という感じだったんですが意外と症状がひどくないことがわかりまして一件落着気味な今日このごろなのでそろそろ復活しようかなと。

 

で、検査入院などをして日がな一日天井を見上げてるわけなので勉強をしようと思えば出来るわけです。

ただ見事にまったく勉強する気起こりませんでしたね。びっくりするぐらい。

まあその時は実は大したことのなかっった検査の結果も出ておらず最悪の予想とかを聞かされてたわけだから無理もない。

で、そんなとき読んだのがこの本です。発売されたばかりですね。

 


内容については訳者が素晴らしい解説を書いてくれているのでそちらを参照していただくとして。

この本はサリンジャーの数少ない著書ということもあって読んだことはありました。

が、まったくもってどんな話だったか微塵も記憶に残っていませんでした。

で、それが今回の新訳を読み、なるほどこんな話だったのかと。

要は村上春樹氏の訳が素晴らしいのです。新訳のほうがわかりやすいのはそれだけ今現在使われている言い回しを使えるんだから当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。

これはもう前例があって「ライ麦畑でつかまえて」を新訳で出したときもなんだかよくわからない昔話がいきなりリアルなホールデン少年になって驚いた経験があります。

まあライ麦のときはあまりにも有名な本だったのでかなり評価が別れましたが。

 

 

 

ただ今回のフラニーとズーイに関してはそれほど思い入れのある人も少なそうですし、万人におすすめできると思います。

なぜこんなに村上春樹を押してるかというと今回はこの村上氏の英語観が非常に面白いなということに付いてだから。

もっと言うと結構影響されて自分の英語観みたいなものも今回の入院あれこれとあわせて変わってしまったから。

 

村上春樹氏と言えばもう小中学生でも知ってるんじゃないかというレベルの日本を代表する作家です。

ただ彼にはもう一つの顔があり英語小説の翻訳家でもあるわけです。

上記でサリンジャー2冊を上げましたがレイモンド・カーヴァーやアーヴィング、カポーティ、フィッツジェラルドなどあげればきりがないほどアメリカ文学の翻訳を多量に行っています。

 

で、最初に述べた通り本当に訳がうまい。

英語をちょっとでも勉強した人ならわかりますが英語ってのは主語を省略しない言語です。

なのでオレがあなたが私が彼がとかとにかく主語が大渋滞する読みづらい本結構あります。

また人物以外のモノが主語にも平気でなったりする。無生物主語ってやつですな。

これも技術書などに多いですけど「この新機能はあなたを安全な状態にする」みたいな訳。

要は「新機能のおかげで安全度が上がりました。」でいいんだけど直訳されるとね。

なのでたいていの訳書ってのは読みづらいんですよね。

そこのところ村上氏は文章がうまいのは作家なんだから当たり前なんだけどやはり段違いに読みやすい。

これはこの人はものすごい英語力があるんじゃないか…と思ってしまいますよね。

 

ただ村上氏は表題のエッセイでこういう風に書いています。

もう十数年前に買って久しぶりに読み返したんですがすごく面白いです。

要約しようとしたんだけどあまりに簡潔にわかりやすく書かれているので無理。

 

正直に言ってどうも自分は外国語の習得に向いていないんじゃないかと思うようになった。
考えてみれば、期間の長短の差こそあれ今までにいろんな外国語を勉強した。中学高校ではもちろん英語をやった。大学ではドイツ語をとった。大学を出たあとで、フランス語の堪能な友人からフランス語を教わった。フランス語は、スペイン語のときと同じように、常識程度の知識がないと英語の小説の翻訳をするときにかなり困るからやったようなものである。実をいうとフランスに行ったことはまだないので、喋った経験はまったくない。読むだけだ。ギリシャ語は、ギリシャに住むために日本で某大学の講座にかよって、けっこう長く勉強した。イタリア語は簡単な独習だけれど、イタリアにしばらく住んでいたせいで買物・食事、道を訊ねるくらいはできる。トルコ語もトルコ旅行をする前に一ヵ月ばかり先生について集中して勉強した。
それぞれに勉強しているときにはけっこう楽しんでやったように思うし、その当時は自分は語学に向いているのかもしれないと思っていた。
でも今になって振り返って考えてみると、それはどうやら僕の思い違いであったように思う。僕は傾向的、性格的に外国語の習得に決して向いてはいないし、とくに年を取れば取るほど、その「向いてなさ」が自分の中でより顕著になってきたような気がする。最近では「もう駄目だな。これ以上真剣に語学はできないな」とあらためて思うようになった。というか、自分の中における外国語習得の優先順位が年月の経過とともにどんどん低下しているのである。
そのいちばん大きな原因はやはり、語学の勉強に割くための時間が惜しくなってきたことだろう。若いうちは時間はいくらでもあるし、未知の言語を習得するのだという熱のようなものもある。そこには知的好奇心があり、何かを征服してやろうという昂りがある。新しい種類のコミュニケーションに対する期待もある。一種の知的ゲームでさえある。でも四十を越して、どれくらいの有効年月が自分のために残されているのかということがそろそろ気になってくると、スペイン語やトルコ語の動詞活用をやみくもに覚えたりするよりは、自分にとってもっと切実に必要な作業があるのではないかという気持ちが先にたってくる。そしてそういうことが気になりだすと、語学の勉強というのはなかなかできない。それほどあくせく努力をしなくても、まるを吸い込むように自然にどんどん語学が身につくというような天才ならともかく(こういう人は僕のまわりにも実際に何人かいる)、僕みたいに苦労しないと何も身につかない人間は、年ってくるとかなり苦しい。だいたい何力国語でコミュニケーションしたところで、僕という人間が他人に伝えられることは所詮限られているじゃないかという思いも出てくる。

 

他にもこの章では米国での生活での言葉の通じなさやそれに伴う「哀しさ」が綴られています。

勘違いしてほしくないのがこの文章を読んで「英語の勉強なんて無駄じゃん」って諦めを薦めてるわけではありません。

ただこの外国語習得の優先順位というのはあらゆる人にいずれは訪れる問題です。

まだ学生だったり20代の人はこんな事考えもせずに、村上氏がそうだったように語学に邁進すればいい。

ただ私のような中年に差し掛かった人間にとっては、語学というものはどれぐらいリソースをかければどれぐらいリターンがあるのか。言葉は悪いですがコストパフォーマンスを意識せざるを得ません。

 

もちろん「40を過ぎて英語はからっきしだけど同時通訳を目指したい」という人がいたって自由なわけですが、そういう人はプライベートどころか仕事をなげうって猛勉強してなれる可能性があるかも…というところでしょう。

またこの年からいろんなものを犠牲にしてTOEIC990を取ろうがある程度の英語力が身につこうがまあそれで食っていけるほど世の中甘くないですよね。
江戸や明治の時代ならまだしも今の時代うちの会社レベルだって帰国子女や数年間の留学帰りなんてゴロゴロ居ます。
前述の村上春樹氏がエルサレム賞のスピーチが一時期話題になりましたがそのときのスピーチの発音よりそのゴロゴロいる留学帰りの発音の方がはっきり言って上手い。

哀しいけどそれが現実なんですよね。

 

だからと言って村上春樹氏の翻訳をその帰国子女や留学帰りが出来るのか。絶対に無理です。

要は村上氏は小説家という素晴らしく太い幹があるわけです。

それがなくただちょっと英語が出来るぐらいだったら一山いくらのうちの会社の英語だけ出来る帰国子女のほうがマシってことです。

仕事が出来ない人は英語のスキルが上がっても仕事が出来るようにはならない。もともと仕事が出来る人はプラスアルファになるということ。

ですのでリターンというか語学学習の目標は現実的すぎるぐらいの方がいいと思います。

まだ若く同時通訳や翻訳家など英語を主として食べていこうとしてるぐらいでなければ。

 

またそういう実利的なメリット以外にも自分の使える時間を考えてください。

病気をしてこういうこと言うの本当にテンプレみたいですが人生に英語学習以外にも大切なことはたくさんあります。

特にアラフォーの人。友人や家族との時間を断って勉強に打ち込む。本当にそれが正解なのか。考えるべきだと思います。

 

なんというかやる気を無くすことばかりを書いた気もしますが逆に語学学習を投げ出す人ってそういう理想を高め過ぎちゃった人なんじゃないかなって気がします。

「こんなに時間を費やして色んな物を犠牲にしてるのにちっとも洋画を見てもわからない…。」それが当たり前で理想が高すぎるだけなんですけどね。

村上氏の言う『外国語を話すという作業には多かれ少なかれ「気の毒といえば気の毒、滑稽といえば滑稽」という部分がある』という考え方。

少なくとも中年以上は抑えて英語学習を始めたほうがいいんじゃないかなと思います。

 

んー。なんかうまく伝わらなかった気しかしませんが原著を読んで頂ければ。

外国語を学ぶという悲哀がビシバシ伝わって来ますが本当に面白いです。

その他アメリカ人のメンタリティみたいな部分でも結構学ぶてべきところは多いです。

 

 

では次回からこれまでよりゆっくりになりますが参考書の紹介などに戻したいと思います。

それでは。


5 Responses to “やがて哀しき外国語”

  1. しばしば拝見しており、 書籍選びの参考にさせていただいております。 この度は回復おめでとうございます! これからも楽しみにしております♪ 返信
    • komatsu
      ありがとうございます!書籍選び中断してしまってご期待に添えないですがゆっくり更新していきますので長い目で見てください。よろしくお願いします。 返信
  2. よちみ
    おかえりなさい。 管理人さんが大丈夫で うれしいです。 無理しないでくださいね。 返信
    • komatsu
      ホントに今回は参りました。ただ人生であまりない経験がたくさん出来たので結果おーらいと思ってます。 勉強は何から手を付けていいのやらと言う感じですがまあゆっくりやっていきます。 返信
  3. よちみ
    こんにちは。その後体調はいかがですか? 今月末に2回目のTOEICを受けるつもりにしてます。 初めての時は管理人さんがすごく親切にいろいろ教えてくださったので、リラックスして受験できました。 今でもありがたく思っています。 あれからも こつこつですが勉強も続けて、ぼちぼち頑張ってます。管理人さんも元気にされてるといいなぁ♪ 返信

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